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【AESAの歴史3】サンビスタネットワークの中心として

更新日:5月30日

2000年、浅草サンバカーニバル1部リーグのサンバチームをメンバーとして産声を上げた「浅草エスコーラ・ヂ・サンバ協会(AESA)」。

人間の年齢にたとえればまだまだ子どもですが、浅草サンバカーニバルの誕生から続くサンビスタ(サンバ愛好家)とAESAの歴史は、日本におけるサンバ文化、カーニバル文化の歩みそのものといっても過言ではありません。

取材協力、資料提供:高橋重雄氏(G.R.E.S.仲見世バルバロス) 文:平田有紀


 

浅草に産声を上げた新しいサンバのお祭り。前述した通り、参加するほとんどの人が、今までサンバというもの自体を見たり聞いたりしたことすらありませんでした。しかし人間の本能を揺さぶるリズム、華やかな装飾や衣装、笑顔いっぱいの開放的な雰囲気が、このお祭りにふれるすべての人の心を捉えて離さなくなるまでに、多く時間はかかりませんでした。

実は日本はそれより70年も前から国策としてブラジルへの移民を開始しており、日本にもブラジル人が住み、ブラジル音楽を愛好する人たちも少なからずいました。とはいえインターネットが発達している現代と違い、ブラジル・日本間のみならず、日本国内ですら愛好家同士のネットワークは今よりずっと希薄なものでした。

新しいカーニバルの噂はメディア等を通じて全国の愛好家に伝わりました。最初は仮装コンテスト

的様相の強いイベントに半信半疑だった愛好家達も、2年めからは徐々に浅草に集まるようになりました。仲見世で和太鼓を叩いていたメンバーは、サンバという音楽の魅力にはまりブラジルの楽器を手にするようになりました。個別に出ていた大学生チームは一緒にやろうと声をかけ、「連合」として手を取り合いました。2回、3回と回を重ねるごとに、楽器を揃え、衣装を工夫し、羽を集めて、「仮装行列」ではない「サンバ」を追求しようというチームが増えていきました。

本当のところ、最初は全員がサンバ好きで集まってきたわけではありませんでした。しかしこうしてさまざまなきっかけで集まった人々が、「サンバ」という共通言語を得て、浅草を中心にネットワークを形成し始めたのです。


G.R.E.S.仲見世バルバロスが優勝した、第9回の表彰式


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